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名張への行き方

交通関係の補足

名張へのアクセス(2003.12現在)

名古屋からは特急利用だと乗換が無く所要時間も短くて快適ですから、予算に余裕があるならおすすめです。大阪方面からの場合特急でも快速急行でも直通で所要時間もほとんど変わらないので、料金の差は車両の違いと座席指定で必ず座れるため、ということになります。

名張市役所から夏見廃寺までは徒歩10分程度です。朝の到着がちょっと早いのが難点ですが、展示館開館時間前でも廃寺跡の見学は出来ます。

名古屋行き夜行バスを利用して、近鉄で名張へ行く方法もあります。東京から名古屋まではJRのドリーム号、ニュードリーム号(3列座席)は6420円、「青春ドリーム」号(4列座席)で5000円、新宿発、名鉄・京王の夜行バスが5100円です。

名張駅から廃寺へのアクセス

名張駅前(西口)にはコンビニ(ローソン)、若干の飲食店、交番、タクシーなどがあります。西口と東口の間は自由通路があります。
(2003.11現在)

自家用車でのアクセス

夏見廃寺の位置づけについて

名張の地にある夏見廃寺が、薬師寺縁起にある「昌福寺」であることはほとんど疑いの余地がないものと思います。ただし、先にも述べた様に薬師寺縁起にある「神亀二(725)年」は大伯皇女の没年(701)から24年が経過しており、この点には注意が必要です。

伝えられている大伯皇女の没年が誤っている、あるいは薬師寺縁起の記述に誤りがあるという可能性も完全に否定は出来ません。しかし一番無難な解釈は持統朝の中〜後期に大伯皇女によって金堂と僧坊などが建立され、皇女の死後もその遺志をくむ者によって塔堂が追加造営され、最終的に725年に大伽藍が落慶したということではないでしょうか。

これも先に述べた様に、築地塀で囲まれた領域より狭い掘立柱囲塀の遺構が見つかっていることや各堂宇の基準尺が異なり建築年代に差のあることを強く示唆していることもこの解釈を支持するものと思います。

千体塼仏(セン仏)

寺院の壁面に同じ大きさの仏像を配列した「千体佛」を祀る供養が、インドや西域で古くから行われてきました。大伯皇女が建立した昌福寺の千体佛が、現代の寺院でも千体佛建立の先例として引き合いに出されています。(参考:薬師寺東京別院公式サイト

ところで、名張市教委発行の「夏見廃寺跡」パンフレットによると、昌福寺の塼仏(セン仏)の枚数は709個です。「千体」にはだいぶ足りない?でも復原されたセン仏壁の写真をよく見ると両脇侍を有する「三体仏」が上下の各4段は14枚ずつ、中央の5段が左右に4枚ずつで、合計152枚あることになります。また中央は阿弥陀如来の左右に12人の弟子達を配した「多尊佛」です。したがって「仏像の数」としては千余体となります。

出土したセン仏の一部は夏見廃寺跡展示館で見ることが出来ます。セン仏の出土例は他にもありますが、夏見廃寺の場合壁面に貼り付けられたものが、そのまま火災で焼け落ちた当時の姿をとどめて出土したということで貴重な発掘資料となったそうです。

大津皇子死後の大伯皇女について

飛鳥に戻ってからの大伯皇女は比較的恵まれた暮らしをしていた、と考えられているようです。この件に関しては別ページで自分なりに拙い考察をしてみました。あくまでも直感に基づくもので、専門家の論文や史料等をきちんと検討した上でのものではありませんのでその点ご了承下さい。

私見「大津皇子死後の大伯皇女について」
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