交通関係の補足
名張へのアクセス(2003.12現在)
- 名古屋から:近鉄特急で約1時間30分2920円、急行で約2時間(伊勢中川乗換)1640円。
- 大阪(上本町)から:近鉄特急で約1時間1850円、快速急行で約1時間 980円。
- 奈良方面 大和八木から近鉄急行約30分。京都から(八木乗換)約1時間30分
名古屋からは特急利用だと乗換が無く所要時間も短くて快適ですから、予算に余裕があるならおすすめです。大阪方面からの場合特急でも快速急行でも直通で所要時間もほとんど変わらないので、料金の差は車両の違いと座席指定で必ず座れるため、ということになります。
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夜行高速バス(三重交通)
品川BT 22:30・ 横浜駅 23:10〜名張駅7:05・名張市役所7:20
名張市役所 21:25・名張駅 21:40〜横浜駅 5:30・品川BT 6:15
運賃:横浜〜名張7400円・品川〜名張7850円
名張市役所から夏見廃寺までは徒歩10分程度です。朝の到着がちょっと早いのが難点ですが、展示館開館時間前でも廃寺跡の見学は出来ます。
名古屋行き夜行バスを利用して、近鉄で名張へ行く方法もあります。東京から名古屋まではJRのドリーム号、ニュードリーム号(3列座席)は6420円、「青春ドリーム」号(4列座席)で5000円、新宿発、名鉄・京王の夜行バスが5100円です。
名張駅から廃寺へのアクセス
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名張駅東口より三重交通(http://www.sanco.co.jp)バス
つつじヶ丘行バスに乗車し「夏見」停留所で下車後、徒歩で約10分です。
つつじヶ丘行きは北回り、南回り2ルートがありますが、これはつつじヶ丘地区内での循環方向の違いで、夏見に行くにはどちらでも同じです。
- 夏見停留所下車後、川沿いに進行方向に約50m程度進んで、左折してマックスバリュ夏見橋店裏の坂道を上ってゆくと道なりに中央公園にはいります。
名張駅前(西口)にはコンビニ(ローソン)、若干の飲食店、交番、タクシーなどがあります。西口と東口の間は自由通路があります。
(2003.11現在)
自家用車でのアクセス
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国道165号線を走ると、名張市役所と名張警察署の間あたりに「名張市中央公園」の誘導標識があります。公園内に入り体育館横の無料駐車場を利用します。駐車場から展示館まで徒歩3分程度。展示館付近は駐車できませんので、マックスバリュ側から入った場合も展示館前を通り越して体育館横の駐車場を利用します。
夏見廃寺の位置づけについて
名張の地にある夏見廃寺が、薬師寺縁起にある「昌福寺」であることはほとんど疑いの余地がないものと思います。ただし、先にも述べた様に薬師寺縁起にある「神亀二(725)年」は大伯皇女の没年(701)から24年が経過しており、この点には注意が必要です。
伝えられている大伯皇女の没年が誤っている、あるいは薬師寺縁起の記述に誤りがあるという可能性も完全に否定は出来ません。しかし一番無難な解釈は持統朝の中〜後期に大伯皇女によって金堂と僧坊などが建立され、皇女の死後もその遺志をくむ者によって塔堂が追加造営され、最終的に725年に大伽藍が落慶したということではないでしょうか。
これも先に述べた様に、築地塀で囲まれた領域より狭い掘立柱囲塀の遺構が見つかっていることや各堂宇の基準尺が異なり建築年代に差のあることを強く示唆していることもこの解釈を支持するものと思います。
千体塼仏(セン仏)
寺院の壁面に同じ大きさの仏像を配列した「千体佛」を祀る供養が、インドや西域で古くから行われてきました。大伯皇女が建立した昌福寺の千体佛が、現代の寺院でも千体佛建立の先例として引き合いに出されています。(参考:薬師寺東京別院公式サイト)
ところで、名張市教委発行の「夏見廃寺跡」パンフレットによると、昌福寺の塼仏(セン仏)の枚数は709個です。「千体」にはだいぶ足りない?でも復原されたセン仏壁の写真をよく見ると両脇侍を有する「三体仏」が上下の各4段は14枚ずつ、中央の5段が左右に4枚ずつで、合計152枚あることになります。また中央は阿弥陀如来の左右に12人の弟子達を配した「多尊佛」です。したがって「仏像の数」としては千余体となります。
出土したセン仏の一部は夏見廃寺跡展示館で見ることが出来ます。セン仏の出土例は他にもありますが、夏見廃寺の場合壁面に貼り付けられたものが、そのまま火災で焼け落ちた当時の姿をとどめて出土したということで貴重な発掘資料となったそうです。
飛鳥に戻ってからの大伯皇女は比較的恵まれた暮らしをしていた、と考えられているようです。この件に関しては別ページで自分なりに拙い考察をしてみました。あくまでも直感に基づくもので、専門家の論文や史料等をきちんと検討した上でのものではありませんのでその点ご了承下さい。
私見「大津皇子死後の大伯皇女について」
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